産婦人科病院での苦労話・・・

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私が高校卒業して18歳で、病院の寮に入り、産婦人科の病院で准看の勤労学生として働きました。
当時の病院は、学生を雇う代わりに、学校へ行かさせてもらってるといった感覚でした。安い給料でこき使われた時代です。
朝7時に出勤して掃除をし、汽車に乗って学校へ行き、お昼帰ってきてから夜の7時まで勤務していました。
ご飯を食べて寮に帰る。そういった生活が基本になります。門限は21時遊びにも行けません。ちょっと近くのスーパーに買い物に行くくらいでした。
外泊できるのも月に一度で、後の休みも休みの前日も家には帰れませんでした。何故なら、産婦人科、お産がいつくるかわからない病院ですので、人材確保のためと、学生の宿命みたいなものでした。
時は昭和58年、当時、なんて封建的なシステムなんだろうと思いました。私たちの病院だけではなく、准看の学生は大体同じような生活でした。
何が一番しんどかったかというと、お産の度に寮生に召集がかかるのです。
1年目の時は、夜勤明けだろうが、夜勤入りだろうが、インターホンで「お産です」の一言で呼ばれるのです。
目が覚めたら、白衣に着替えて、ストッキングをはいて走って病棟まで駆けつけました。
お産が夜中何時にあろうと、何組あろうが一切関係ありません。
次の朝7時には出勤して学校に行って仕事するのです。
授業中、先生の声がどれだけ子守歌に聞こえたかわかりません。子守歌も聞こえないくらい授業中は熟睡していました。
夜勤も、入りも明けもなく、普段の生活に夜勤が入ってくるのです。月に数回の夜勤があったと思いますが、普段の勤務プラス夜勤・当直なのです。
つまり、朝の7時から、学校から帰ってくる翌日の昼まで、時間的に拘束されているのです。
帰ってきて寝るのですが、熟睡しすぎて目が覚めて窓の外が薄明りだったとき、朝の7時か、夜の7時か解らないくらい熟睡していました。
学生時代のキツイ思い出がよみがえり、産婦人科では二度と働きたくないと思ってきました。でも、お産は生命の誕生の瞬間に立ち会える素晴らしい仕事でもあります。そう思えるまでかなりの時間がかかりました。

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